手紙や逸話に見る、有名武将の「LOVE」
メールもLINEもない戦国時代、戦国武将たちの手紙テクを大公開
日本で最古のラブレターは豊臣秀吉!?
一説に、日本で現存する最古の「ラブレター」は豊臣秀吉のものだといわれています。現在ではLINEなどスマホ用のアプリで秘密のメッセージをやり取りするカップルが増えていますが(そして、それが流出したりしてトラブルになったりしていますが)、こういう問題は秀吉の時代以前もありえました。
実際、『源氏物語』で、中年時代の光源氏が十代の妻・女三宮がヨソの男からきたラブレターを隠しているのを知って、激怒するシーンもありますね。
こういうことが、死後すら起きうるのが有名人の常です。日本史では長い間、有名人=歴史に名を残す人物は基本的に上流階級出身者でしたから、彼らは死を覚悟すると、その手のごく私的な手紙の類は処分します。それが暗黙のルールだったのですね。
そういう記録の生き残りを集めたのが拙著の『愛と夜の日本史スキャンダル』ですが、たとえば、秀吉に念願の跡継ぎの男子である鶴松を産んで授けてやれた淀殿に送られた手紙には、こういう露骨な一節があります。
「廿日(はつか)頃に必らず參り候て、若ぎみ抱き申すべく、その夜さに、そもじをも側に寢させ申し候べく候。切角御まち候べく候」。
(二十日頃には必ずそちらに行ける予定です。鶴松を抱っこしようと思いますが、その日の夜は、淀殿、あなたも隣に寝てもらおうと思います。楽しみにお待ちになってください)。
妙に丁寧な言葉遣いが逆にエロいですね。
子どもの鶴松にかこつけてはいるが、淀殿との夜の約束をしているのです。
農民出身者が朝廷の関白にまで出世した秀吉は乱世が生んだ奇跡のような人物ですから、上流社会のルールに大ざっぱでいられたのかもしれませんね。
秀吉以外、みなさんに人気の戦国武将はすべて、当時の上流階級ですから「戦国武将の恋文」の類で、信頼できるものはほとんど残されていない……と言わざるを得ないのです。
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